よくはたらいた

文章を書いてゴハンを食べている、という感覚には慣れてきたのだけれど、どうも文章を書いていると働いた、という実感がなくて困る。困りもしないようだけれど、労働くさくない仕事というのは達成感がすくない。たとえば、バイトでメガネ屋店員をしていた頃は、閉店時間が迫れば一日立ちっぱなしで疲れた足がなんとなく充実した気持にさせてくれたし、「ありがとう」なんて面と向かって言われることも多かった。それが、文章を書いて、デザイナに渡して、んで代理店営業とあーでもないこーでもないとしゃべっているだけで仕事が終わるというのは何となく味気ない。
でも、今日みたいに日がな一日読書もせずにずっと根をつめてサムネ書いてコピー書いて、ということをしているとさすがに充実感がある。あんまり重要でもないページなのでわっしわっし筆がすすむ。ちょっと右手がだるいぐらい。そうか、労働の歓びというのは肉体的疲れと関わってるのか?なんて思考回路がまだめぐってるということは、まだそこまで疲れてない証拠なんだけれども。徹夜だ!って時にはもう考えることすら放棄したいような気分で書いてるからな。
最近、また田中小実昌を読んでいる。いやあ、うまい。こんな風に飄々とするっと小説を書く人というのは、他にいないな。保坂和志の文章は、似ているけれど理屈っぽいからなあ。感覚をそのまま、するりと吐き出すことがうまかった人なんだろう。ずっと読みたかった『ミミのこと』で、すこし泣きそうになった。ずっと読みたい読みたいと思ってあたためておいてよかった。いやあ、やっぱり本っていいなあ。