『シンセミア』、その続き

Eチコから提起された問題を時間がなくて置き去りにしてたので、ちゃんと触れてみようと思う。しかし、こういう場で討論するってのは、こうタイムラグができてしまうのが難点だなあ。
基本的に、独り言、たわ言の類なので、興味ない人は読み飛ばし推奨。
>本格的写実の三人称小説を書こうとしても、筒井康隆のような俗情(大西巨人)的なご都合主義的の自分語りになってしまうこと、そしてそういう文学としての失敗が結局、近代が成立せずフラットでフェティッシュな擬似プレモダンな欲望のみを横溢させるサバービアのリアリティーを表象してるというふうに思ったんですよ。
ごめん、よくわからん。というか、横文字の多用によって理解促進を試みているように見せかけて錯乱させる書き方ってのは、どうも苦手なんだよ。つーか横文字が苦手なんです、私は(笑)もっと噛み砕こうYO!これは本筋とは関係ない意見だけど。
>つまり文学として失敗することで、時代相をくみとることに成功してると。
文学として失敗したものを読めと言うそのパラドックスについてはどう思っているんだろう。読むことを娯楽として捉える人と、分析的な愉楽として捉える人、その二つの層を仮定した場合、どちらが多数だろう。もちろん両方の層に受け入れられるものがすばらしいけどさ。
>そもそも自分の直感やら感性がどんなひととも共有できてないと考えるひとが多い、という現在のアノミーを想定してますか?
これについては認識不足だったと認めるよ。しかし、ほんとにみんなそんな風に考えてるの?それが本当だとしたら、ずいぶんと寂しいことだし、書く意味は薄れるよな。届かない文章を、少なくとも私は書きたいと思わない。
>前に高島平は不気味といってたけど、ああこれが地方出身のひとの感性なのかってぼくは思った。高島平みたいなとこでずっと育って郊外の無機質や半年に1回位おこる自殺も自然なことと思ってる層が確実にあるんですよ。ぼくもその一人です。
ふむ、なるほど。ただ、Eチコの立場を一般的立場として捉えることもできないよね?私の考え方が普遍的でないのと同様に。
>そんで、そういう無機質さになれた人間っていうのは姫野さんが良く使うような(有機的=土俗もしくは土俗へのフェイクとしての)感性的なオノマトペなんかがすごくひとりよがりなものに感じるし、自分自身の感性(より端的にいえばさかきばらにおけるバモイドオキ神のような)も他人に伝わる気がしない。
そう言われると、すいません力不足です、と認めざるを得ないな。オノマトペ好きなんだよな、私。もっと勉強します。ただ感性をすべて否定したところで文章は成立しないというのが、私の基本的スタンスです。それがない文章は、ビジネス文書ぐらいでしょ?伝えたい、という思いの前には、「私の感性/気持ちを」伝えたい、という目的語が存在してると思うから。
>そしてその伝達不全感が神経症的な論理へのこだわりにつながっていく、つまり確定的な伝達方法にこしてしまう。もしくはその反動として、モーのような俗情的記号にたいするフェティッシュさにつながる。そこを見ないとみおとすとこが大きいよ。
ごめん、ここもちょっと理解しづらい。解説キボン。
>そもそも半分ガイドブックみたいで下北とかの街の息吹を感じるような小説っていままでなかったでしょっていってたけど、それは田中康夫が表参道とかでやってるし、そもそも明治期の風俗小説なんか読むと、そういうのはいっぱいある。別になにも真新しくないし、そもそも下北そのもののガイドブック的小説だったら清水博子「街の座標」があるでしょう。いままで
『街の座標』、既読です。街小説ってたくさんあるのも知ってる。ただ、今、私が見ている東京を書けるのは自分だけだと思うし、それを記録しておくという作業はちゃんと意味があると思ったわけです。自分の感性を通して見た、2004年の東京を。と、またこういうことを書くと「感性は…」とさっきの話に戻っちゃいそうだけど(笑)でもま、そういう小説を私は書きたかった。マスターベーションかもしれないけど。そういう自覚も持ちつつ、ね。
>なかったでしょ?というふうにいうのはナイーブ。
確かに、ちょっと表現がわるかった。すいません。
>ぼくは、人質問題における俗情的なリンチ報道なんか考えても、今は街の息吹やら俗情やらを批評的にとらえる写実的で近代的な視線がむしろ必要だと思う。そういう意味で阿部は山形の田舎の俗情を俗情的に批判してる点で失敗してる。そして阿部がいしきしたであろうフローベルとかゾラがもってた写実による批評能力を、阿部のような小説家よりもむしろ同じ山形を撮った小川紳介のような良質なドキュメンタリー作家に感じるね。ぼくは(原一男マイケルムーアは良質ではないと思う)だから小説を書こうとする人間はドキュメンタリーをいっぱいみろと。ビバ写実
あの、一言失礼なこと言って良い?私、小説書かない人が無責任にアドバイスを述べるのが好きじゃないんですよ。もちろん、Eチコの意図はわかるし、正しい意見だとは思うけど。あと、Eチコがその二人を評価しないってのはすごくよくわかるなあ(笑)私はどっちも好きだ。ただ、ドキュメンタリー作家ではないかもね。ムーアはかなり意識的にエンターテイメントとして組み立ててるし、感情を隠さないからな。そういう部分が私は好きだったりするけど。

なんだか『シンセミア』からは遠く離れたわけですが、つらつら思ったことを書いてみました。つか、Eチコ最近なんでそんなに攻撃的なの?だいじょうぶ?(笑)