「わたしたちは無傷な別人であるのか?」チェルフィッチュ

とても楽しみにしていたチェルフィッチュの公演、横浜美術館にて。


土曜日、朝4時前に起きて、始発でニューバランスの復刻ものを買いに行き、あんまりぶっちぎりに1番に並んでしまって約6時間後に途方に暮れた顔で1300を握りしめて帰ってきて、嬉しいのか悲しいのかちょっとぼんやりしているdと一緒に出かける。


以前に「フリータイム」をTVで見たことがあって、いったいその場で見たらどうなるんだろう、と思ってたんだけれども…


何回か、寝ました…。


あんまりにゆっくりとした間、抑揚のないしゃべり方、意味のないようなゆったりとした動き。ここ最近、とても”演劇らしい”動きや声や効果音に慣れていたせいもあるのかもしれないけれど、ぱっと見て「おもしろい」というようなお芝居では、決してない。でも、「つまらない」かと言われたら、そうでもないところが不思議な感じ。


物語は、タワーマンションを購入して入居を待っている夫婦のもとに、奥さんの後輩の女の子が訪ねてくる一日をたんたんと見せていく。「そこに、男の人がいます。その男の人は幸せな人です。」というセリフが、いろんな人物によって何度もくりかえされた後、「なぜその男の人が幸せなのか、この『わたしたちは無傷な別人であるのか?」というお芝居はそれを解き明かそうと思っているからなのです。」と突然セリフに対する第三の視点が持ち出されたりするところは、すごくスリリング。突然ふつうの演劇みたいにセリフを喋り出す場面もある。そういう場をあいまいにして、人称を溶かすような手法は、とてもおもしろい。でも、それを劇場でやると眠くなる。まわりも、結構みんながっくんがっくん眠っていて、こんなに人が眠る劇ははじめて見たよ、というレベル。


でも、そこにある”言葉”はとても素敵だった。たんたんとした文章が続いた後に、はっと切りつけるみたいな鮮やかなフレーズが入ってくるその存在感!ふだん本を読んでいて、あっ!と立ち止まるような瞬間を、舞台の上でも再現できるんだなあというのは発見だった。と、書いていくうちにおもしろかったことは書けるんだけど、でも寝ちゃったんだよなあ、という事実も一方にはあって。なんだろうなあ。あと数年後、寝ちゃったことすら忘れかけたころにまた見たいなチェルフィッチュ


とか思いながら、中華街に行ってビールを飲んで中華を食べて帰ったのでした。でもチェルフィッチュで寝ちゃった件がショックで、ビール飲むまで悶々としちゃったよ…。